スタッフブログ
- 2024.06.25
- 愛犬もなかとのお別れ
皆様こんにちわ!
今日は私個人のことを書こうと思います。
なが~いですけどよかったら読んでください(*^^*)
愛犬が亡くなった話です。
お辛い方はスルーしてくださいね!
うちには3匹の保護犬がいます。
長女・もなか(11歳)
長男・チョコ(11歳)
次男・コタロー(10歳)
もなかは里親募集でうちにきてくれて、チョコとコタローは
ペットショップの売れ残り犬です。
ペットと暮らすのは本当に幸せで、楽しくて、けど大変で…
病気やけがをすればお金がとてもかかるし、言葉を話さないので
痛い、かゆい、機嫌が悪い、楽しい、悲しい…色々な感情を
表情やしぐさから読み取ってあげないといけなくて…
色々最初は悪戦苦闘しながら育てました。
左の茶色い子がコタロー、真ん中の美人がもなか、右の黒い子がチョコです!
4月のある日、もなかの食欲が突然無くなりました。
ただ、それ以外はとても元気だし、気が向いたら好物の焼き芋とか食べてくれるし、大丈夫かなと思いつつも一応病院へ連れて行きました。
念の為に撮ってもらったレントゲンとエコーを見た先生から…
「肝臓か脾臓に腫瘍のようなものがあって結構大きいです。まだ判断はできないけどおそらく悪いものの末期だと思う。大学病院で診てもらうことも出来るけど、もしかしたら病気を治す治療ではなくて
緩和ケアってなるかもしれない」
えっと…ちょっと食欲がなかったから連れてきたんだけど、末期がんだって宣告されたのかな?と、頭はまっ白でした。
なんとか冷静に先生と話をして「一度大学病院で、治療できる可能性がないか診てもらう」という結論を出しました。
5月8日、大学病院受診の日。
鹿児島までの車の中で、もなかにたくさんお話ししていきました。
「ちょっとだけお腹みてもらおうねぇ!終わったらご褒美に焼き芋食べようね!」
検査を受けて、結果の説明に呼ばれて先生から…
「脾臓と肝臓に腫瘍がいくつもあります。そのうち小さいものは破れて出血してます。一番大きな腫瘍は10㎝くらいあって、いつ破裂してもおかしくないです。その大きさの腫瘍が破裂したら助かりません。貧血と不整脈もあるので、その大きな腫瘍を取る手術をした場合には手術中に亡くなってしまう可能性も大きいです。どのみち完治はできないです。なので、緩和ケアにうつるか、とりあえず破裂しそうな一番大きな腫瘍だけでも取るか決めてください。ただ、お金もかかることなのでそこを含めて考えてください」
という内容のことを、本当に丁寧に、一つ一つ言葉を選びながらお話ししてくださいました。
そこから主人と3時間、病院で話し合いをしました。
手術をしてもどのみち癌は完治しないこと、手術をしたからといって余命が伸びるわけではない事、緩和ケアだと手術中に亡くなるリスクはなくても破裂してしまうかもしれない事、破裂させないために運動や刺激が一切NGな事、色々なことを考えて結論を出しました。
「もう一度だけでも大好きなお散歩に連れて行ってあげたいので、手術してください」
その日に緊急入院が決まり、もなかを残して人吉に帰ってきました。
そこからもなかは、輸血が始まり、毎日検査を受け、12日に手術を受けました。
↑輸血中のもなか
仕事が休みの度に鹿児島へ面会に通いました。
そして16日の面会の日、先生から「抜糸は人吉の先生にお願いして、いったん退院しますか?抜糸したあと鹿児島に抗がん剤治療に通ってもらうことになるけど、退院してもいいですよ!」
えっ?いいの?一緒に帰れるの??
主人と喜んで「はい!!!」と返事してもなかを連れて帰りました!
チョコとコタローも大喜びでした!
退院した次の日は夕方涼しくなってからお散歩に出ました。
まだ手術したばっかりだから少しだけね!という私たちの声掛けを無視して
楽しそうにどんどん進んでいくもなか…
いつもは家が近くなるとまっすぐ家に向かうのですが、その日は家に帰らず「もう少しだけ!」と言っているかのように私を引っ張りました。
よっぽどうれしかったんだろうなぁっと思って、いつもより時間をかけてゆっくりお散歩に付き合いました。
次の日、仕事に出ていた私に、夕方から仕事だった主人から電話がかかってきました。
「もなかがおかしい。すぐ帰ってきて!」
同僚に事情を話して家に帰ると、倒れて呼吸の早くなったもなかがいました。
素人の私が見ても「あっ、もう助からないんだな…」というのが分かりました。
主人と泣きながら「もう見送ってあげよう」と決めました。
呼吸が止まるまで約30分、主人とずっと撫でて声をかけ続けました。
この世にこんなに悲しいことがあるんだなと思いました。
言葉が話せない動物は、その人生の全てを飼い主にゆだねています。
だから、私たちの選択が本当にもなかの為になったのか、あの時緩和を選んでいたら…
そんなこともたくさん考えました。
けれど、最後にしたお散歩、もなかは本当に楽しそうでした。
大好きなお芋と、スイカ、乾燥したおさかなも少しだけ食べられました。
緩和ケアだったらお散歩もNGだったので、これでよかったんだと自分たちに言い聞かせました。
亡くなってから2日間、自宅でもなかと過ごして火葬にてお別れをしました。
どんな映画を見ても、どんな悲しい話を聞いても泣かない主人も泣いて泣いてお別れしていました。
本当に安らかな顔をしていました。
手術も輸血も頑張って、お腹も30針以上縫って、それでも私たちの所に帰ってきてくれて最後にお散歩してくれて、不整脈で倒れてから亡くなるまであっという間でしたが、それだけ苦しい時間が少なかったかなと思っています。
火葬が終わってからは、お世話になった先生方やお寺様などにご挨拶にまわり、役所に届け出をして、病院の清算をして…
手続きの複雑さは全然違いますが、家族を送るというのはこういう事なんだな、一つ一つ済ませながら気持ちの整理をつけていくのかもしれないなと実感しました。
この経験を通じて、お客様への寄り添い方やお声掛けの仕方などが、少し変わるような気がしています。
とてもとても悲しい経験でしたが、もなかにたくさんのことを教えてもらった気がしています。
このブログを書きながらも涙があふれてどうしようもないのですが、長い時間がかかってもゆっくり気持ちを落ち着けていけたらと思っています。
よくお葬儀の場で「頑張んなさいよ!」「しっかりせんばね!」とご遺族様にお声をかけていらっしゃる場面を目にします。その方は悪気があるわけではもちろん無く、励まそうと、少しでも元気づけようとお声をかけていらっしゃるのは承知しています。
けれど、大切なご家族を亡くされた方は、もう精一杯頑張っていらっしゃいます。涙をこらえてしっかり見送ろうとなさっています。お客様の対応をしなきゃ!あれもしなきゃ、これもしなきゃ!と限界まで踏ん張っていらっしゃいます。
私がもなかを亡くした時、同僚はみな黙って私が落ち着くのを待ってくれました。
なので自分から、頑張ったもなかのこと、かわいかったエピソードなどを聞いてほしくてたくさん話して、それを「うん、うん、」と聞いてくれて、そういったなかで少しずつ日常生活に戻れたような気がします。
まわりにそういう方がいらっしゃったら、そっと寄り添ってあげてください。
「そばにいるよ」という気持ちだけで充分伝わります。
もなかとのお別れはとても悲しいものでしたが、ママのお仕事に絶対に役立てるよと伝えたらきっともなかは喜んでくれると思います(*^^*)
私たちの家族になってくれたもなかに心から感謝しています。
虹の橋を渡った今は、毎日元気にお散歩して、好物のお芋とスイカと梨とお魚をむしゃむしゃ食べて、ガムで歯磨きして、お腹いっぱいになったらお昼寝して…幸せに過ごしているでしょう!
その元気になった姿を想像しただけでうれしくなる久保田でした!
長々とした文章をお読みいただき、ありがとうございました!
久保田もなかちゃん、とても美人な女の子でした(*^_^*)